学級崩壊は仕方ない?
教育改革が進んでいるらしいですね
https://m.newspicks.com/news/2129062/body/?sentlog
http://benesse.jp/kyouiku/kyouikukaikaku/img/education.pdf
AI時代を迎えて、求められるものが変わってきている。主体性をもって、様々な他者と協働し、マニュアルにない行動をできる人材が必要とされるようになる。
本当にその通りだなと思いますが、感覚としては「遅いな」って気もします。
もう既にそういう人材って求められているし、そういった能力を役立てて成果に繋げている人はたくさんいるんじゃないかと。
元々学校というものが、統治戦略の一部、規律化を目的として作られていて、均一な教育を施すものだった歴史から考えると、この転換は大きなものに見えます。
規律化に効率がよいという側面もあっての現在の一斉教授法ですが、これが始まったのも19世紀頃らしいですね。先生1人に生徒30人、みたいな教室の形って、当たり前のように思っていたけれど歴史はそれほど長くないみたいで驚きました。
国家や社会としても従順な国民を求め是としていた中でできた教育の形が、多様性を認めはじめ、自発性を求めはじめた社会の変化に追いつけなくなっているということなのかなと思うと、納得してしまいます。
今子供たちは、学校以外の社会や家庭では多様性を認められていて、「みんなと同じにしなさい」とは教えられないのだとすると
みんなで机に座って同じことをやるという教室に馴染めなくても仕方ないのかもしれません
そうなると、学級崩壊なんてものが起こった時に、変わるべきは子供たちではなくて教育や教室の方なのかもしれませんね。
でも学校も刻々と変化しているようで
僕らの時代にはなかったような取り組みがいろいろと行われているようです。
子供たちを見ていて1番昔と変わったなと思うのは、本とのつきあい方というか、読書の習慣がつくようなはたらきかけが結構あるようです
昔にもあったのかもしれませんが、僕の記憶よりもはるかに多く本を読んでいる気がします。
読書習慣の大事さは、私は大人になってから痛感したのですが
それが小学生のうちから身につくというのはとてもありがたいなと思っています。
うちの子もよく本を借りてきますし、年間にすると数十冊の本(マンガではない)を読んでるかなと。素晴らしいです^ ^
ただ話を聞く、ということの効能
ものすごく悩んでいたはずなのに、人に話しているうちに大したことがないと思えるようになり、気持ちが楽になる。
誰でも覚えがあるこんな現象にも、名前がついているそうです。
「カタルシス効果」と言うとのこと
もともとカタルシスというのはアリストテレスが演劇学用語として使ったのがはじまりで、「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」というものだったようなのですが
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/036katharsis.html
その後精神分析学のフロイトがヒステリーの治療において「悲惨な話を聞いて泣く行為」を併用し、その除反応を「カタルシス」と呼んだ、ということらしいです。
「カタルシス効果」は、
苦しい感情を表現することでその苦痛が解消する効果
というようなもののようで、精神分析の用語として用いられているとのこと
カウンセリングなんかで、この効果を用いるみたいなんですが、カウンセラーはまずクライエントの話をただ聞いているんだとか。
アドバイスとかしないんですね。なんかお金払ってカウンセリング行って、ただ話を聞くしかしてくれないって、それでいいの?とか思うかもしれませんが、それが大事なんだそうです。
ただ黙って自分の話を聞いてくれる存在って、よくよく考えてみるとなかなかいないものなので、貴重かもしれないですね。
また、自分で声に出して話しているうちに、考えていることが整理されていくということもあると思うので、やはり話をするというのは大事なんだなと思います。
チームで何かを行うときに、チーム内に自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいるかというのは、結構安心感に影響するのではないかと思うので
話を聞いてくれる人、というのはチームに必ず必要なんだろうなと思います
リーダーやマネージャーがまずやるべきなのは、メンバー全員の話をしっかり聞くところからなのかもしれません。
チームにいる人たちが安心して、高いパフォーマンスを出してくれないと、チームのアウトプットも質が下がってしまうと思いますし
時間がない、とないがしろにせずにしっかり話を聞く時間を取らないといけないのではないかなと。
その為にもまずは、チームが話をしやすい環境である事が大事なので
適度に雑談をしてみたり、お互いの事を知る機会を作ったり、発言に対して否定が出てこないような雰囲気作りをしたり
そういった地固めが思っている以上に大事だったりするんじゃないでしょうか。
無駄だと思って切り捨てたものに、大事なものが含まれていたりというのは、人生においてもあるあるですしねw
人間の脳とバグとの付き合い方
ちょっと前に、どこかで
「人間の脳は度重なる仕様変更で非常にバグが多いシステム」だというような話を聞きました。
非常に気になっていて調べてみると
デイビット・J・リンデン
という方の著書に、そのような内容のものがあるようです
http://www.fben.jp/bookcolumn/2010/02/post_2429.html
「つぎはぎだらけの脳と心」や「脳はいいかげんにできている」という著書があって、まだ読んでいないので今度読んでみようと思っているのですが
リンクを貼った先の、福岡弁護士会のページの記載を見ると(弁護士の方が読んだ感想なんですかね)
「我々が日頃抱く感情、知覚、我々の取る行動などは、かなりの部分、脳が非効率なつくりになっていることから生じている。」
とあり、非常に興味をそそられます。
日々生活するなかで、何故自分の感情はこんなにも動くのだろうとか、この余計な思考は何故生まれてくるのだろうとか感じることがやはりあって
それを脳の成り立ち…人が進化するなかで、その場しのぎ・間に合わせでできあがっていった人の脳の非合理性によるものだと理解することは、どこか救いでもあると感じました。
例えば、
十分評価されていて重要なミッションも任されていると頭では理解しているのに、さらに重要なポストを任されている人は他にいると不安に感じてしまったり
目標が達成できなかった時に、必要以上に自分を卑下してしまったり
目標が達成できても、もっとできたはずと自分を評価してあげられなかったり
冷静に考えれば余計な感情と思えてしまうこれらのような感情の発露を、能力・個性・努力などの不足だとかではなく、そもそも誰の脳においても発生するバグの1つと考えることで
「仕方のないこと」と受け流すことができると、ちょっと楽だったりするのではないかなと。
人間の脳が様々なバグ発生のリスクを負いながら動いているとするなら、それを知った上で脳と付き合った方がメリットが大きいというか
幸せに生きられるのではないかというのも思います。
つまりバグの発生しにくい環境をつくるとか、バグが発生してもそれをカバーできる環境をつくるとかそういった事です
過度のプレッシャーだとか、孤独な環境とか、あまりにも高い負荷だとか、そういった環境では脳のバグも起きやすくなるのではないかというのは、なんとなく想像できますが
こと事業などの成長の為には、高い目標やある程度の負荷というのは必要不可欠なので
同時に励まし合える仲間とか、認められていると信じられる環境とか、必要とされているという実感とか
「カバーできる環境」を作っておくと、やはりそうでない場合よりも楽にやれるのではないかなと思ったりするのです。
教室環境とチーム環境の類似性について
以前、ある場所でふと手に取った
「データが語る学校の課題」という本があります
データが語る〈1〉学校の課題―学力向上・学級の荒れ・いじめを徹底検証 (データが語る 1) https://www.amazon.co.jp/dp/4810074870/ref=cm_sw_r_cp_api_bdR3zbCSYW8SH
この中に、Q-Uと呼ばれる学校生活に関するアンケート結果を分析すると、学力との相関が見られるということが書かれていました
Q-Uについて
http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h25/04_soudan/jittai_q-u.htm
ものすごく単純化して書くと
◾️学級のタイプにはいくつかのパターンが見られる
・【満足型】
一定のルールが存在しつつ、親和的人間関係があり積極的な発言が見られる。
子供達は学級内に自分の役割と居場所を見出している
・【管理型】
ルールを重視しそれによって管理される。一見落ち着いていて問題がないように見える
子供達の意欲に大きな差が見られ、子供同士の関係が希薄。
教師の評価を気にしがち
・【なれあい型】
一見のびのびして元気な学級に見えるが、ルールが希薄。
子供達の間で小さなトラブルが頻発
・その他省略
◾️学級環境を【満足型】にすると、学力が伸びる子供が増え、学力面で置いていかれる子供が少なくなる
・【満足型】では多くの子供達が学校生活に満足できるので、学習に集中できる
結果、置いていかれる子供は現れにくい
・【管理型】ではその環境に満足できる子供は伸びるものの、適応できない子供達の学力が低下する
結果、置いていかれる子供が多くなる
というような話が書いてありました。
子供達の学力向上には、カリキュラムの良し悪しであるとか、教師の能力であるとかいった要素ではなくて
教室の環境を整えてあげることが重要だということだと思うのですが
個人的には非常に納得感のある話だなと思います。
そもそも現在の学校の指導方法が
教える側の効率化という立場に立って作られた
1対多の一斉教授方式で…
というような話も興味のある話ですが
ここではそれは置いておいて
子供達の置かれる環境、
特に心理的な環境(学級内の人間関係が親和的であるとか、自分の役割や居場所をそこに見いだせるか?といった環境)が
子供達の学力ややる気といったものに強く影響を与えるという事実が非常に興味深いなと思ったわけです。
そしてこれを自分の生活の中に投影してみると
仕事をしていく中でのチーム環境というものが、チームメンバーのモチベーションやパフォーマンスに影響を与えるという事実と合致するなと思うわけです。
特に企業内でチームを組成して何かに取り組むとき
そのチーム内の人間関係であるとか
そこにいるメンバーそれぞれが、チームの中での自分の役割を意味のあるものと考えられているかとか
チームの中に居場所が保証されているか
といった要素が、思っている以上にチームの成果に密接に結びついていると日々感じているので
「データが語る学校の課題」に書かれていた分析結果がより納得感のあるものに感じられたのだと思います。
人は自分の居場所がそこにないと感じたとき
笑顔が減り、発言に積極性がなくなり、必要性が薄いと思われる行動をとらなくなっていきます
そういった意味で、チームをまとめたり導いていく為には、
メンバーの表情、発言量や内容、メンバー間の関係性
などに日々気を配り目を配る必要があると思っています
業務に関係する知識を学習したり、スキルを磨いたり、新たな技術を研究したりももちろん重要だと思うのですが
チームの中に1人くらい、ただひたすらにみんなに気を配る人というのがいると、チームはより上手く能力を発揮して、成果に繋がっていくのではないかな?など思うわけです。