管理が楽なら上手くいってると言っていいのか?
統治が目的の管理方法は人の能力を引き出すのか?
言うことを聞かせるとか、周りに合わせるようにさせるとかいった管理方法は、そこにいる人たちの能力を本当に高めるのか?
世の中は仕事にしろ教育にしろ、強みを伸ばすとか多様性を認めるとかいった方向へ進んでいるが
そういった最新の流れを知らない所では、今でも統治型とか管理型のやり方を取るところがあるようだ。
問題は少なく、管理できているように一見みえる
そういった組織は、ちょっと見ただけだと問題も少なく上手くいっているように見える。
でも型にはめられて、その枠内の行動しか取れない人々に、想定外の困難に立ち向かう力とか、新しい何かを生み出していく力が出せるものなのだろうか?
日本の競争力の低下は統治型の教育が原因か
統治型の管理方法ですぐに思い出されるのは日本の旧来の学校教育だと思う。
周りと合わせ、よく言うことを聞くことを求められる。見方を変えれば軍隊式というか
それも当然で、そもそも一斉教授法は統治のための教育方法だし、軍隊式訓練と出どころは同じなのだ
結局、指揮のとおりに行動する兵隊は作れても、新しい価値を創り出すイノベーターは作れなかった
みんなで同じことをやる不幸
特に子どもたちの教育において、みんなで同じようにしようとか、みんなでルールを決めようとかいうのは そこに適応できる子と、馴染めない落ちこぼれを作ってしまう
だれかが求めるようにできない子は、問題のある子どもなのか?と聞けば皆そんなことはないと言うだろうが、しかし彼らが評価するのは言うことをよく聞き求められることをうまくやる子だ。
たまたまそれに馴染めない子は、その環境に殺されていく。 その子にはその子が輝けるフィールドがあるはずなのに、だ。
管理型教育が子どもの可能性を奪っているのではないか
日本の教育システムは、テストの点数が取れる子に教育リソースを集中投下するシステムになっている
それはそれで正しいシステムだとは思うが、点数では測れない能力に溢れた才能は、そのシステムの中で埋もれさせられているのではないか?
また、点数重視になりすぎて、ライフスキルの低い人材が生み出されてしまってはいないか?
ちょっと疑問に思っているし、最新の教育の流れはそういった反省を踏まえたものになっていると思う
自身の過去の経験だけで教育の方針を決めるというのは、危険すぎるので改めた方がいいと思う。そうなってしまっている場合には。