だいたいいつも上機嫌

教育とか仕事とかマネージメントとかサーバントリーダーシップとか。

あなたが思っている以上に、あなたは誰かに影響を与えている

人間の相互作用について

特に仕事をしていくにあたって、私たちは自分で思っている以上に周りの影響を受けながら過ごしている。

周りの評価、賞賛、批判、関心、無関心

そもそも私たちは皆、特別な自分でありたいと思うが故に、周りがそうみてくれているか、周りと比べて今の自分がどんな位置にいるのかを、意識せずとも常に考えている

特別でありたいと願うのは、ほぼ本能

人間は生まれたとき、ほぼ例外なく特別な存在である。

親の愛を受けなければ生きていけない。そんな弱い状態で生まれてくることを余儀なくされた種であるから、それも当然だろう。

特別であることが生存に必要だし、拒否、拒絶や無関心は死に直結するとも言える。

そして幼少期も、兄弟の中で位置を探りながらもやはり、家族にとって特別な存在として生活を送るのが大半だろう。

そんな環境で育っていくので、ほぼ本能的に「特別である自分」を求めてしまうものだと思う。

要はアイデンティティの確立

家族という世界から外に出ていくと、その環境の中での自分のアイデンティティを模索するようになる。 勉強のできる自分、運動のできる自分、明るい自分、何かに詳しい自分…

そうやって自分の特別さを掴んでいくが、そこでうまく自分の居場所を見つけられない場合、悪い方に目立とう、そちらで特別になろうという力が働く。

ものすごく単純化すると、これが不良とか問題児の発生のメカニズムだそうだ。

我々は子供のときから、そうやって何かで特別になろうとあがきながら成長してきているのだと思う。

特別だと感じる時、人の感情は動く

特別扱いというと仰々しいが、要は賞賛、評価、関心である

何も上長からの評価とか、何かで表彰されるとかそういった事に限らない。

助かったと言われるとか、頑張ってるねと言われるとか

何かで注目されるとか、話を聞かれるとか

職場にはたくさんの(たくさんじゃない職場もあるが)人がいて、皆程度は違えど、周りからどう思われるか気にしているし、周りの反応に影響を受けている。 関心を持たれようが、言葉をかけられようが何も感じないという人は稀だろう。

そしてそれは対象が誰であっても影響を受ける。

上長からの反応にしか影響を受けないというのはレアケースだと思う。

同じようにあなたも周りに影響を与えている

あなたが発した言葉、態度などで喜びを感じる人もいるだろう。 というか人間は本能的に他者からの関心を求めるから、影響を受けない人の方が少ないはずだ。

自分は部下もいないし、とかそういうことではなく、必ず影響を与えあっていると思う

賞賛、評価、関心がプラスの影響を、批判、拒絶、無関心がマイナスの影響を与えるならば

プラス方向の行動・言動の量が多い環境の方が、そこで働く人たちの生産性を高めるはずだ。

プロフェッショナルは高い基準を求める、といった理屈で厳しい意見ばかり発する人がいるが、それは自分の感情コントロールや伝え方の工夫を放棄する言い訳でしかなくて

高い基準を持ち、それを伝播させつつ、常に他者を尊敬尊重し賞賛や感謝を伝え続けるというのは両立できるはずだ

そもそも他者と協力しながら働くのであれば、他者への尊重・感謝は高い基準でできて然るべきベース・スキルのはずである。厳しい指摘をする時でも、それはできて当たり前である。

例外として、他者への尊重を怠るような態度や業務姿勢である場合には、毅然とした態度が必要と思う。 それは顧客に対する姿勢でもそうだし、同僚に対する姿勢でも。

そうでなく、精一杯を尽している人に対しては 例え現状成果が出ていなくても、尊敬と尊重を忘れずに相対さねばならないと思います。

長期目標はプレッシャーにならない程度にふんわりでいい

長期目標ってどう立てていますか?

数年先くらいの長めの目標って、どんな風に立てているでしょうか?

目標は大事とよく言いますし、みなさんきちんと立てているんでしょうか? 「5年以内に部長になる」「◯年後には◯◯賞を取る」「◯年以内に◯◯の舞台に立つ」とかでしょうか? もっと具体的に立てている人とかいるんでしょうか?

個人的に言うと、ものすごくざっくりとしか立てられていません。5年後までになんかの責任者っぽいことやってたいな、とかそのくらいです。

長期目標をきちんと立てられないのは未熟者だと思っていた

そんな感じでものすごくざっくりとしか先を見れていないので、自分としては未熟だなと思っていたし

今周りにいる尊敬する人たちとか、上長とかにあたる先輩方はきっときちんと長い目で見た目標を立ててやってきているんだろうと思っていました。

そのあたりやり切れる人が上に行くんだろうな〜と

尊敬する人たちに長期目標について聞いてみた

機会があったので、周りの先輩方にそのあたりについて聞いてみたのですが

驚くことにほとんどの方々は 「そんなに先のことは、それほど具体的に考えていない」 と仰っていました。

長い目で見ればみるほど、世界も環境も変化するし 今からでは予測できない事態が起きてくる。

あまり具体的に先のことを考えてみても、都度都度変化させていかないといけないから

それほど具体的には考えていない、というような話でした

もちろん、全く考えないという話ではなく 先は見据えておくのだけど、どちらかと言うとふわっとした夢くらいの感覚だと言うことでした。

「今ここ」の話に通じる

アドラー心理学にある、「過去でも未来でもなく、今ここ」という考え方に通じる話だなと思いました。

先をしっかり考え切って不安を排し、パフォーマンスを上げる ではなく

「今ここ」にフォーカスすることでパフォーマンスを上げるということでしょうか。

話を聞いてもらうと新たな発見がある

周りと話をすると、思いもかけない発見も時にあるものです。 個人的にはすごく気持ちが楽になりましたし。

こういうのがコミュニケーションの重要性だったりするのだろうなと思います。

ということで、引き続きふわっとした夢(?)だけ掲げて、なんとなくそっちに向かえそうな方を向き 今を精一杯楽しんでいきたいなと思うわけです。

管理が楽なら上手くいってると言っていいのか?

統治が目的の管理方法は人の能力を引き出すのか?

言うことを聞かせるとか、周りに合わせるようにさせるとかいった管理方法は、そこにいる人たちの能力を本当に高めるのか?

世の中は仕事にしろ教育にしろ、強みを伸ばすとか多様性を認めるとかいった方向へ進んでいるが

そういった最新の流れを知らない所では、今でも統治型とか管理型のやり方を取るところがあるようだ。

問題は少なく、管理できているように一見みえる

そういった組織は、ちょっと見ただけだと問題も少なく上手くいっているように見える。

でも型にはめられて、その枠内の行動しか取れない人々に、想定外の困難に立ち向かう力とか、新しい何かを生み出していく力が出せるものなのだろうか?

日本の競争力の低下は統治型の教育が原因か

統治型の管理方法ですぐに思い出されるのは日本の旧来の学校教育だと思う。

周りと合わせ、よく言うことを聞くことを求められる。見方を変えれば軍隊式というか

それも当然で、そもそも一斉教授法は統治のための教育方法だし、軍隊式訓練と出どころは同じなのだ

結局、指揮のとおりに行動する兵隊は作れても、新しい価値を創り出すイノベーターは作れなかった

みんなで同じことをやる不幸

特に子どもたちの教育において、みんなで同じようにしようとか、みんなでルールを決めようとかいうのは そこに適応できる子と、馴染めない落ちこぼれを作ってしまう

だれかが求めるようにできない子は、問題のある子どもなのか?と聞けば皆そんなことはないと言うだろうが、しかし彼らが評価するのは言うことをよく聞き求められることをうまくやる子だ。

たまたまそれに馴染めない子は、その環境に殺されていく。 その子にはその子が輝けるフィールドがあるはずなのに、だ。

管理型教育が子どもの可能性を奪っているのではないか

日本の教育システムは、テストの点数が取れる子に教育リソースを集中投下するシステムになっている

それはそれで正しいシステムだとは思うが、点数では測れない能力に溢れた才能は、そのシステムの中で埋もれさせられているのではないか?

また、点数重視になりすぎて、ライフスキルの低い人材が生み出されてしまってはいないか?

ちょっと疑問に思っているし、最新の教育の流れはそういった反省を踏まえたものになっていると思う

自身の過去の経験だけで教育の方針を決めるというのは、危険すぎるので改めた方がいいと思う。そうなってしまっている場合には。

未来を考え過ぎると心が疲れる

未来はどうなるか誰にも分からない

当たり前な事を書いてる気がしますが、当たり前だけれども意外と忘れがちな気がしています。

先を見据えて生きるとか、そういうのって大事なように聞こえるんですが それだと不安が多過ぎて心が疲れていくような気がするんです。

個人的な心境の変化について考えてみた

何故こんなことを書いているかというと、どうも最近気分が乗らないというか、心が重くなっている気がしていて 少し自分の事を分析してみようと思ったからです。

特に仕事面に関して、直近1年は

・いろいろあって部署変わる

・異動先に慣れてきてうまくやれはじめる

・先の目標とか展望を考えだす

という感じで、部署が変わっても(環境の変化があっても)特に不安を感じなかったのですが 直近、先を考えだしてからなんだかよくわからないもやもやというか不安感が出てきはじめて、おや?と思っていました

不安になんてならなそうなのに何故?という疑問

環境の変化にも適応して、うまくやれるようになって、先を考えだす

文章にすると特に不安要素がないような気がするんですが、何故、何に自分が不安を感じているのか考えてみました。

責任増加とプレッシャー?

これは多分違うなと思いました。 それほど大きな責任役割の変化はないし、どっちかというとプレッシャーには強い方なので…

今の部署に不満がある?

これも違う気がします。とても楽しくやってますし

他に何かあるか?

ここまで考えて、特に不安要素と呼べるようなものがなく これは個別的な事象によるものではないのかなと思いました

アドラー心理学に「いま、ここを生きる」という考え方があった

一時期アドラー心理学に興味があって色々な本を読んだのですが、その中に「いま、ここ」という言葉があったのを思い出しました。 改めて検索してみると

「過去を悔やんでみたり、まだ起こってもいない将来の出来事を心配し、それに備えるようにして生きている人は多い。そんな時、私たちはたいてい不安で、幸せではありません。」

こんな言葉が出てきました。

未来のことを考え過ぎていた

振り返ってみると、ここ最近少し、どっちかというと未来のことばかり考えていた気がします。 それは経緯としては、いろいろなことが落ち着いて、結果も出てきて、その先のこととして考えていたので、経緯としては特に問題なかったのですが

やはりどうなるか分からない未来のことをあまり考え過ぎると心が疲れてしまってよくないようです。

目標設定をすることはとても大事なんですが(目標がないのは別の意味でヤバい) 目標を分解して「いま、ここでやること、頑張ること」まで落とし込めないと ただただ不確定な先のことばかり考えて気が重くなってしまうようです。

大事なのは、行きたいゴールを決めたら 「いま、ここでやること」 にまで落とし込んで、それをいま頑張り切ることなのかもしれません。

と、これを書きながら私の心はだんだんと軽くなってきました。また今日も頑張れそうです^ ^

ボクシング村田諒太選手とニーチェ

村田諒太選手の特番を視聴して

土曜日の昼に、10/22に試合のあるボクシング村田諒太選手の特番が放送されていました。

個人的に、ボクシングなどの格闘技に興味がなかったんですが、今回の番組を見てちょっと見方が変わりました。

今までのただ相手を倒す野蛮なイメージとは違って 自分の内面と戦う武道的な印象でした。

村田諒太選手とニーチェの言葉

番組の中で、村田諒太選手がニーチェの本を読む場面がありました。 お父さんから勧められた本だとかで 自分の内面、モチベーションとか恐怖心との葛藤とかと向き合うときに、ヒントになる言葉が詰まっているとか。

格闘家と哲学者という、一見結びつきにくそうな組み合わせですが 強靭な肉体を作っても、それを動かすのは心ですし重要なもののようです。

ボクシングでもメンタルがとても大事

テクニックや身体能力ももちろんですが、やはりメンタルが大事というようなメッセージが番組全般一貫していました。

元々アマチュアの世界で金メダルを獲得し、プロの世界に挑戦したという選手らしいですが

プロの試合はアマチュアと違ってヘッドギアもなく、グローブも薄く、油断をすれば大きな怪我、命にも関わる事故も起きかねないシビアな環境ということで

プロの初試合の前には、恐怖から「試合をしたくない」という状態にまでなったと語られていました

プロ戦直前の村田諒太選手を救った子供のジャンプ

プロ戦の恐怖と戦う村田諒太選手からの電話に お父さんが村田諒太選手のお子さんを引き合いに出してこんな言葉をかけたそうです。

「昨日までジャンプできなかった〇〇が、こんなこともできるようになったよと見せたくてジャンプをする。そういうのでいいんじゃないか?こんなこともできるようになったって、それを見せにいくだけでいいんじゃないか?」

そんな子供の姿に勇気をもらってプロ戦に挑戦し見事勝利を飾ったと言います。

プロボクサーが、小さな子供から勇気をもらうというのがとても興味深いなと思いました

ジャングルジム、1段目も4段目も登る作業は同じ

村田諒太選手は子供をよく観察しているようで、ジャングルジムの話もしていました。

ジャングルジム、登る作業は1段目も4段目も同じだけど4段目の方がやっぱり怖い。 どんなこともそれと同じように、高くまで登れば恐怖は大きくなるけどやるべきことは同じ。 ただひたすらにやるべきことを続けるしかない。

初戦を戦うのも、チャンピオンと戦うのもやるべきことは同じということなのかもしれません。

何をやるにも、心を上手くコントロールした人が勝つ

今回村田諒太選手の番組を見て、心のコントロールの大事さを再認識しました。 ちょっとボクシングを見る目が変わりました。 村田諒太選手、試合頑張ってほしいなあ。

ピグマリオン効果で「出来る人」「出来ない人」は作られる?

ピグマリオン効果って?

教育心理学の効果で、すごくざっくり言うと「先生に出来ると信じられると本当に出来る子になる」みたいな効果です。 ピグマリオン効果 - Wikipedia

ロバート・ローゼンタールの実験によって提唱されたので、ローゼンタール効果とも呼ばれる効果で、いろいろと批判もあるものの「期待されるとやる気でる」という感覚は多くの人がもっているので

単純には無視できない概念ではないかなと思います

ピグマリオン効果の逆がゴーレム効果

同じような心理学効果でゴーレム効果というのがあり、これがピグマリオン効果の逆の効果です。

「不良は周りの目でどんどん不良になっていく」みたいな例えが分かりやすいでしょうか

こちらも、主に実験方法に批判があるものの誰もが多少はそういうことあるよねと思う概念だったりするんじゃないでしょうか?

挑戦の機会が人を成長させていく

ピグマリオン効果の実験自体には批判もありますが、人は挑戦をし、成功体験を積むことで自信をつけ成長していきます。 仮に失敗しても、挑戦の結果の失敗であればやはり学びを得ていくものだと思います。

人が社会生活を行なっていけば、必ずそこには役割の分担があり、それぞれの役割に応じた挑戦の機会があります。

当然期待をかけられる人は大きな役割を任されて挑戦のチャンスを得ていくので、そうでない人よりも成長していくし、挑戦の最中期待され信頼されることがプラスに働くというのは当然とも言えるのではないでしょうか。

期待や信頼を伝え続けることが大事

教育でも仕事でも共通してると思うのですが、人はそもそも迷うものですし、信頼感や安心感というものも、放っておけば風化していってしまうものです。

期待をしているとか、信頼しているということは、一度伝えておけばOKというものではなく何度も何度も繰り返し伝えていかないといけないと思います だから面談をしたり、ランチに一緒に行ったり、飲みにいったりということが効果を発揮するんじゃないかと。

単純接触効果というのもありますし、一緒にいる時間を長くとると好感度や信頼感は上がるはず。効果的に使っていきたいですよね。

メンバーが伸びないのはリーダーやマネージャーの責任

責任あるポストであればあるほど、忙しいしメンバーも増えて一人一人に期待や信頼を伝えることは難しくなると思いますが

やっぱりそこに甘んじるとチームに問題が発生するなというのが個人的な印象です。

メンバーがいきいきしているチームは、リーダー格の人のそのあたりのやり方が上手ですよね。

子供も信頼を伝えれば伸びる(はず)

絶賛子育て中なのでこれからどうなるかわかりませんが、いつも期待や信頼を伝えるようにしてます。 一時期は自分が教えなきゃみたいに考えてもいましたが、大人がコントロールして伸ばせるような、そんな易しいものじゃないですよね。

親にできるのはただただ信じて見守る、に尽きると思います。

絵の上手さを褒めたら、国語と算数の成績が上がった

何故か国語と算数の成績が上がった

小学5年の息子の話です。 特に普段から勉強しろというような親ではないのですが、この半年は特に、勉強をあえて教えたりもしなかったし、ドリルをやらせたとかいうことでもなかったんですが 何故か国語と算数の成績が上がっていました。 何でかなと考えて、この半年自分がやったことを思い返してみたのですが、唯一「絵」をひたすら褒めていました

息子の絵は結構凄い

息子は絵を描くのが好きで、得意でもあります。何度か入選とかもしていました。構図の大胆さが特徴で、大人の私がみてもダイナミックないい作品だなと思います(親バカですがw) 賞もとってくるし、本当にすごいと思って事あるごとに「〇〇の絵は本当に凄いね」「いい絵だよね」「パパの友達も上手いって褒めてたよ」などなど褒めちぎっていましたw ちょっと照れくさそうにしながらも、まんざらでもないみたいで喜んでいました。

描ける環境も作った

家でも水彩画が書けるように、イーゼルやスケッチブックも揃えて 部屋の壁一面に息子の作品を貼って飾って 水彩画の他に、落書き帳を作って本やマンガを自作したりもしていたので、それを本棚に飾ったりして 単純に私も楽しいので、もっと描いてよ!なんていいつつ過ごしていました。

通知表を見てびっくり

だんだん学校からの連絡でも、生き生きしている、自信を感じる、などのポジティブな評価が増えてきて頼もしいなと思っていたのですが

通知表を見ると、何故か国語や算数も結果がよくなっていました。 というか全般的によい評価になっていました。

もしかしたら、学校側で指導の仕方が変わった効果だとか、単純に年齢的に伸びる時期だったとか そういったこともあるのかもしれないのですが

自信の効能ってすごい

ひょっとしたら絵を褒めたことが自信になって、そういった結果に繋がった、なんてこともあるかもなと思うわけです

自分の得意や好きが、居場所になるというか 認められる自分、認められる場所というのが人の基盤になるみたいな話は、決して子供に限らず大人であっても言えることかなと思うので この半年の関わりが、数%でも息子の成長を促進してくれてたなら嬉しいなと思います

でもやっぱり、あるんじゃないかと思うんですよね 不足を指摘するより、認めて信じてあげた方が人は伸びるんじゃないかなと思います。